【怖い話】きれいな鼻

7歳の時に、兄弟が習ってた

剣道の道場へ連れていかれた。

 

家で留守番させとくのは心配だったんだろう、

でも子供なのですぐに退屈してぐずった。

 

すると母が敷地の中でなら

自由にしていいと言うので、外に出た。

 

見学の子は自分だけだったので、

一人で道場の周りを散歩した。

夏だったので蝉がやかましく、暑い。

 

背丈の三倍はある生垣に囲まれた道場は狭くはないが、

道場と道場主の小さな家があるだけで、

珍しいものもなくすぐに飽きた。

 

でも中に戻って正座をして待つのも嫌だから、

道場の裏手にあたる敷地の北側で

ぼーっとすることにした。

 

建物の影でそこはなんとなくじめじめしてて、

他より涼しい。

 

ここならずっと居られるな、

とその辺の石に座って空を見上げた。

 

すると、生垣に顎を乗せている男と目が合った。

平凡な顔立ちの男は七三分けの黒髪に

大きめの眼鏡をかけ、

画用紙みたいな青白い顔色だった。
『こんにちわ』

感情のこもらない、少し高めの声だ。

「こんにちわ」

『どうしたんですか』

敬語で話しかけられるのはあまりなかったから、

なんとなく居心地が悪かった。

「お兄ちゃんが、練習終わるのを待ってます」

『そうですか』

生垣が、がさがさと忙しなく揺れる。

男は瞬きもせずに凝視してくる。

「どうしたんですか?」

『いいえ』

 

沈黙が嫌で話しかけたが、

返事の意味がわからない。

『いいえ、鼻を』

「はな?」

『触っていいですか、鼻を』

「え?」

何でもない言葉なのに、

心臓が縮みあがる感覚がした。

 

得体の知れない男を前に動けなくなった自分の方へ、

生垣を掻きわけて現れた腕が近づいてくる。

 

灰色のスーツの袖、

それが異様に長い。

 

生垣と自分の座っている石の間は

少なくとも2mは離れている。

 

この時点で変質者なんてものじゃないと気づいたが、

全く足が動かない。

 

顔色異常に青味を帯びた、

よく見ると爪のない細い指が顔の前に来た。

『綺麗な鼻ですね』

ツルリ、とやけに肌触りのいい指先が何度も鼻筋を撫でる。

『良い鼻ですね、本当に』

「あの、す、すいません!」

どこか遠くでダァン、

と大きな音が聞こえた。

 

そういえばいつからか

蝉の声も練習する皆の声も聞こえない。

 

それに気づくと身体に自由が戻って、

男の腕をそっと押し返し

必死で謝りながら背中を向けた。

 

一目散に道場の中に駆け込み、

母に裏で変な人がいたと訴える。

 

何人かの大人が様子を見に行ってくれたが、

そこにはもう誰もいなかった。

 

あれから十年以上が経つが、

近所にある道場の生垣はどう見たって2mちょっとある。

 

自分が母に助けを求めたのも事実らしい。

じゃあ、あの人は一体何だったんだろう。

 

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