皆さんは服部半蔵の正体をご存じでしょうか?
この話をする前に何故徳川家康が天下をとれたか?
そこから考えていきましょう。
天下を取るという人は 世界で一番最初に何かを成し遂げた人なのです。
織田信長は銃を一番最初に取り入れましたよね。
そして徳川家康は、
一番最初に特殊部隊…
そう忍者部隊を作った人物なのです。
その忍者部隊の長こそが服部半蔵なのです。
服部半蔵は徳川から天下を取った褒美として、
今も東京にある半蔵門という地名をもらったそうです。
しかし服部半蔵はもう一つお願いとして
全国を旅させてほしいとお願いしたそうです。
その時に使った偽名が『松尾芭蕉』なのです。
だから松尾芭蕉は今も言われていますが、
あの年で、
そしてあの早さで日本を回るのは不可能といわれています。
『奥の細道』の旅の総移動距離は2,400kmで、
総日程が約150日。
1日の平均移動距離は15kmですよね。
しかも150日毎日移動してたわけではなく、
移動しなかった分を取り戻すかのように、
一日で50㎞以上も 移動している日があるのです。
では何故、松尾芭蕉もとい服部半蔵は日本中を旅したのか?
俳句を作り『奥の細道』を作るため?
表向きはそうですよね。
でも違うんです。
あの人が日本中に広めたのは俳句ではなく、
あの童謡『かごめの歌』なのです。
全国で埋蔵金のありかをうたっていたといわれているのです。
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