蝦夷地開拓時代、
本土の開拓民集落がいくつかできたそうだ
その一つ、確か道央の方の話
明治時代、政府の政策にて
多数の有志が北海道の開拓のため入地した
開拓前の未開の地は開拓を拒む鬱蒼とした森林地帯、
しかしそこに果敢に挑んだ人間は、
食料も、医者も、なにもかも不足しているなか、
少しずつだが畑や家、道を造った
その課程で開拓民はあるものに悩まされた、熊だ
道央の深地はアイヌすら立ち入らない地帯、
熊は人間を驚異とはまだみなしてはいない、
しかし人を襲うということはなかった、
はじめの頃は
ある年の秋、夏に異常な冷夏になり、
作物に甚大な被害がでた、
山の植物に深刻な影響がでたらしい
その秋は鮭の遡上も少なく、
開拓民も食料の確保にかなり困っていた
それは、熊も同じだった
ある日の夜、おばあさんが外の物音に気づき、
鹿か何かが外に干していた大根を
食いにきたのかと思い外に出た
ボキ!バタバタ!!という何かが折れる音と
大根がたくさん落ちる音
おばあさんがおびえながら裏に回る
その日を境におばあさんは突然いなくなってしまった
それ以来、月に2~3人度の程度で人が居なくなった
居なく人は老人、女、子供であった
夜、トイレに行ったものがいなくなり、
朝気づくと家族が一人いなくなり、
ドアが開けっ放しになっている
もちろん居なくなる度に
大勢でそこらじゅうを探し回ったが見つからない、
ひとの足跡すらないのだ
神隠しや人柱、
いろんな噂が立ったが確証は何一つなかった
冬になり雪がしんしんと降り積もる中、
また、一人子供が消えた、
しかし、今回は痕跡が残っていた、
雪に引きずられた後が残っていた
その後は山に向かっていた
人々はその後を追い深山に分け行った、
一つ山を越えた岩屋に後が続いていた、
そこには骨が落ちていた、
乾いた骨、乾いた骨、
何かの動物の骨かと思っていたしかし、
その奥の生乾き骨には黒い毛の固まりと皮と肉片が付いていた
村へ急ぎ立ち返り、
状況を説明した、
事を政府の役人に告げるため早馬がでた、
事態を聞いた役人は狩人をよこした、
それにより住人は初めて熊の存在を知った
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